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January 29, 2019 13:52

論文要約:Neuronal Competition and Selection During Memory Formation

動機

ここ最近、生物の記憶がどのような機構で実現されるのかについて興味を持っています。
紆余曲折あって強化学習と教師なし学習についての研究を深めたいと思っているのですが、
これら分野において、神経生物学の知見を取り入れたうえで理解を深めたいし、そうすることが有益だと思うからです。

  • 強化学習モデルでは現在の入力パターンから予測報酬を計算する
  • 生物の場合は感覚器官からの入力パターンと過去の経験記憶から予測報酬を即座に想起していると考えられる
  • そのためにはパターンと報酬の組を記憶しておく機構があると考えられるが、入力パターン数は膨大なので効率よく圧縮する必要がある
  • 実際、神経の発火パターンに対して、結合強度が変化する神経の割合は一部に限られる(つまり神経同士の競合が生じる)

記憶とは何か?という問いに対し、クラスタリングアルゴリズムとその結果の保存であると換言できる気がします。
クラスタリングとは、入力パターンを自己組織的に分類することに他なりませんが、
完全に同じ入力パターンが生じることは起こり得ない中で、過去の入力パターンを適切に情報圧縮しつつ、
近しい概念をより分ける過程が、すなわち記憶とその想起に対応づけられるからです。

ところで、今回要約するのは、人間の記憶メカニズムと密接な関係にあるタンパク質の一つであるCREB(cAMP response element binding protein)とその役割についてのScience論文です。
人間の記憶メカニズムの中で協調している分子は様々であると考えられますが、
CREBはその中でも活発に研究されており、アルツハイマー病治療薬への応用なども議論されています。

要約

生物の神経回路網が記憶をエンコードする際には、感覚器官からの発火パターンの内、
一部のみが関与していると考えられている。本論文では、このような神経同士の競合に関与しているとされるCREBについて、
マウスを用いてその機構を実験的に調べている。
実験の結果、CREBの一時的活性度は、マウスの聴覚系における恐怖記憶の構成時、
関与するニューロンと密接に関係していることがわかった。
競合学習において、学習に適合するニューロンは、こうした分子の活動によって制御されている。

本論&主要結果

基本的な実験プロトコルはマウスに大きなTone刺激を与え、その直後に電気ショックを与える。
この過程を通して聴覚刺激→罰則というパターンを植え付ける。
このパターン記憶の強度は、Tone刺激をサイド与えとき、マウスの硬直時間の長さによって定量評価する。

A. 各種刺激を与えた直後でのLA部位(聴覚関連の恐怖記憶を保存する脳内部位として知られている)内でのCREBの活性率
特にTone+shockで聴覚刺激と罰則を関連付けさせた場合に活性率が高くなっている
B. 記憶(学習)過程→刺激後の硬直時間の比較。WTは変異を伴わない通常の野生種(Wild Type)で、
CREAB-/-はCREBの活性度が抑制されているマウス
C. GFP(green fluorescent protein)にて標識付けしたCREB活性状態の可視化
D. 各種グループ毎の学習→刺激後の硬直時間の比較。CREB活性度を抑制したマウス群も、CREB発現量を制御すれば、その他のクラスと同程度の硬直時間となっている。これはCREBによって、記憶力を回復させることができることを示唆している。一方で通常のマウスに余計にCREB発現量を増やしたからといって、大幅に硬直時間は増えず、この実験の範囲内ではある程度の水準で飽和するのかもしれない。

Fig.1. 各種実験とその結果
Fig.1. 元論文より転載

まとめ

  • 刺激と報酬/罰則を関連付けた一連の入力情報に対して、学習以降に反応するニューロンはごく一部に限定される
  • 少なくともマウスの聴覚恐怖記憶において、CREBというタンパク質の発現量が、同一パターンに対して発火するニューロン群に対して、正の相関があることがわかった
  • 勝利するかどうかをCREBが支配的に決めているようであるが、それはあくまで相対的なものであるようである

関連情報

CREB (cAMP response element binding protein) とはcAMP応答配列結合タンパクのことであり、神経細胞ニューロン間の恒久的接続を確立するタンパク質を、転写・翻訳するのに必要な因子である。この分子をブロックした場合、タンパク質合成や新たなシナプスの発達が妨げられ、その結果長期記憶の形成が阻害される。エリック・カンデルはCREBのこの作用をアメフラシを用いて証明した。

とのこと。カンデルとは神経科学の教科書:カンデル神経科学で有名な、ノーベル賞受賞者である。

  • 本論文よりもずっと前にCREBが記憶のコード過程に重要な寄与をすることはわかっていたということなので、本論文の価値はそれ以外のところにあるのだろう。
  • WikipediaにはCREBの発現量を制御する薬剤投与によって、アルツハイマー病の克服や、逆にPTSDに対する忘れ薬への応用が期待される主旨の記述がある。面白い取り組みだとは思うものの、神経系の治験は素人目に見ても副作用やその評価が難しそうだなと思う。
  • 記憶という過程を工学的に眺めたときに面白い点の一つは、記憶容量が有限である以上、やたらめったら記憶すればするほど良いということではないという点かなと思う。今回の主役だったCREBに代表される様々な因子が協調しながら、報酬系と強く結びつくような重要な記憶だけを選択的に残したり、入力パターンを丸々コピーするのではなくて、それを一部の構成員で適度に情報圧縮したりしている。こういうことが生物の進化の過程で自発的に構成されていったことは純粋に感動に値する。記憶パターンが多ければ多いほど、行動選択をする際のリソースは増え、より思慮深くなれる一方で、悶々と時間がかかったり、迷った挙句何も行動できずに機会損失が生じることは日常茶飯的に経験している。我々は適度に忘れたり、パターン同士をクラスタリングによって情報圧縮することで、上手くこのような問題に対処しているのだろう。